当館についてAbout

岩崎家ゆかりの別邸 History

岩崎家ゆかりの別邸

  1. 強羅環翠楼は旧三菱財閥岩崎家の別荘を譲り受け、1949(昭和24)年に開業いたしました。元は、三菱会社初代社長岩崎弥太郎氏の三男、岩崎康弥氏が1915(大正4)年から強羅分譲地を購入し、まもなく木造2階建ての日本家屋を別荘として建築したのが始まり。康弥氏自身も、避暑のために別荘をよく利用しており、1928(昭和3)年には、閑院宮載仁(ことひと)親王が康弥氏の別荘にお泊まりになりました。
  2. 「晴旭の間」からの紅葉岩崎康弥が好んだ「晴旭の間」からの紅葉
  3. その際、強羅の佇まいと景観を大いに気に入り、後に岩崎邸の敷地半分を譲り受けて別荘を建築するほど、当時からこの地の魅力は素晴らしいものでした。康弥氏が好んだ一昭亭の「松の間」や「晴旭(せいきょく)の間」は当時の姿のまま残されており、窓際の欄干と大きな板ガラスから差し込む光に、良き時代の面影が今も漂います。
  4. 歴史ある本館大正時代の風情を残す歴史ある本館

強羅環翠楼は旧三菱財閥岩崎家の別荘を譲り受け、1949(昭和24)年に開業いたしました。元は、三菱会社初代社長岩崎弥太郎氏の三男、岩崎康弥氏が1915(大正4)年から強羅分譲地を購入し、まもなく木造2階建ての日本家屋を別荘として建築したのが始まり。康弥氏自身も、避暑のために別荘をよく利用しており、1928(昭和3)年には、閑院宮載仁(ことひと)親王が康弥氏の別荘にお泊まりになりました。

その際、強羅の佇まいと景観を大いに気に入り、後に岩崎邸の敷地半分を譲り受けて別荘を建築するほど、当時からこの地の魅力は素晴らしいものでした。康弥氏が好んだ一昭亭の「松の間」や「晴旭(せいきょく)の間」は当時の姿のまま残されており、窓際の欄干と大きな板ガラスから差し込む光に、良き時代の面影が今も漂います。

「晴旭の間」からの紅葉岩崎康弥が好んだ「晴旭の間」からの紅葉

歴史ある本館大正時代の風情を残す歴史ある本館

昭和天皇や名優・文豪たちに愛された時代 History

1949(昭和24)年に開業して以降、多くの方々にくつろぎの場としてご利用いただいている強羅環翠楼。 1955(昭和30)年には昭和天皇皇后両陛下が、当時新築した離れの「錦華亭」にご宿泊。 お召し上がりになられた駿河湾の豊富な幸を用いた夕食の献立が、今でも残されています。

a昭和天皇・皇后陛下をお迎えする箱根の人々

a昭和天皇・皇后陛下をお迎えする箱根の人々

  1. 1962(昭和37)年には、当時の人気ドラマ「ローハイド」に出演していたエリック・フレミング氏、クリント・イーストウッド氏、ポール・ブリネガー氏の3人が、和風旅館に宿泊したいという、たっての希望で「錦華亭」に宿泊され、旅館の蛇の目傘をさし、笑顔を見せるエリック・フレミング氏のスナップが雑誌のグラビアを飾りました。
  2. また、第1回芥川賞を受賞した作家、石川達三氏が尾崎一雄氏と訪れ、館内にある温泉風呂をそれぞれ、「巽の湯」「木がくれの湯」と命名するなど、多くの文豪も足を運ばれました。
  3. 作家・尾崎一雄氏が命名した「木がくれの湯」(華清の間)

「木がくれの湯」(華清の間)

作家・尾崎一雄氏が命名した「木がくれの湯」(華清の間)

強羅温泉第1号 History

強羅温泉第1号

  1. 標高550m、早雲山の麓に広がる強羅に温泉場が生まれたのは1894(明治27)年。しかし当時、温泉は早雲山からの引き湯でした。その後、大涌谷からの引き湯が始まり別荘地としても発展してきましたが、1952(昭和27)年に、強羅環翠楼の敷地から強羅温泉第1号となる温泉が湧き出ました。
  2. 強羅温泉ポスター敷地内で源泉を掘り当て、強羅温泉が誕生した際に作られたポスター
  3. 強羅環翠楼として旅館を開業させた鈴木二六が掘り当てた温泉は、深さ308.5m。
    無色透明、アルカリ性の単純泉で、温泉湧出を告げるポスターが今でも残されています。現在は、深さ500mあたりから48度の源泉を汲み上げており、ナトリウムやカルシウム、鉄分などを多く含んだ細かい粒子がよく肌になじみ、身体の芯から温めてくれます。

庭園が望める露天風呂秋には色鮮やかな紅葉に染まる庭園が望める露天風呂

庭園が望める露天風呂秋には色鮮やかな紅葉に染まる庭園が望める露天風呂